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奔走・韓国人インバウンドツアー
<旅行記>
 
「韓国人インバウンドの添乗へ行ってくれ」
夏も本番、半袖のYシャツでさえ暑苦しく感じさせるような日のことである。私は突然上司からそう指示された。
インバウンドとは、早い話「訪日観光団体の国内添乗」のことなのだが、それを聞いて思わず私は面食らってしまった。
何ゆえに、私なんぞが言葉も通じない韓国人の添乗なぞを務めねばならぬのか(ちなみに、私は朝鮮語はわからないし、英語だってカタコトしか話せない)、もっと適任の先輩などいるだろうに。そう感じずにはいられなかった。
ところが、よくよく話を聞いてみると、そうそう無理を言われている訳ではないことがわかってきた。
たしかに、バス7台口の大人数ではあるが、私の役目は単なるエスコート役。韓国側の旅行会社からも、添乗員兼ガイド(もちろん、日本語も出来る)がバス1台に付き1人付き、なおかつ私の会社からも、メインエスコート役として、本社のO主任も来るという。そして、肝心のお客様は、小中学生のご一行。それほど、気を遣わなくて良い分だけマシやもしれぬ。
と、言うより、私はこれまで会社の社員旅行か、1泊2日程度のパッケージツアーの添乗しか経験していなかったので、この仕事は大変目新しいものに感じた。
そして、詳細がハッキリしてくるにつれ、その日が待ち遠しく感じる自分がそこに居た。

ところで、その団体名は「釜山少年の船」。韓国の旅行会社が日本の似たような企画旅行をマネて募集したツアーである。
ただ、「少年の船」と言っても、実は名ばかりで、船に乗るのは釜山と福岡の間の行き帰りだけ。あとは、九州北部を3泊4日かけて、バスでじっくり見て回る、というのがその実態である。
そして、私とO主任は、その日本国内で過ごす4日間をエスコートすることが仕事となる。
普通の添乗と違うのは、実際の行動の決定権が、同行してくる韓国の旅行会社側にあるので、その指示通りに動いていれば良い、ということ。我々はただ、旅程管理のフォローをしてあげれば良いとのことだった。
そして、子供たちへの案内も、私の仕事ではないので、さぞかしお気楽な仕事なんだ、と達観してしまっていた。

しかし、それは後に大きなマチガイであったことに気づくこととなる。


8月○日

釜山から彼らを乗せたフェリー「かめりあ」は、もう間もなく博多埠頭国際ターミナルへと接岸せんとしていた。
現地を出たのが前夜の19:00のはずなので、13時間あまり、船に揺られて彼らはやってくるのだ。
その時私は、壮観に並んだ7台の大型バスを前に、運転士・バスガイド・自社の者と共に、最終打ち合わせへと
入っていた。一番下っ端である私は、その合間にハングル文字で書かれた、団体名と号車番号の入ったステッカーをそれぞれのバスに貼って回る。
そして、いよいよ打ち合わせが終わると、私とO主任、そして自社側の代表者であるH氏と共に入国審査出口で彼らを待った。
ほどなく、船から降りた人々が出口から続々とやってきて、さっきまで静まり返っていたこの国際線ターミナルも、にわかに活気を呈してくる。
一般のお客がひととおり出終わったあと、ついに私のお客様である、釜山の子供たちの姿が私の視界へ飛び込んできた。何故か、皆お揃いの、韓国の旅行会社のロゴが入った青いTシャツを着ている。そして、整然と列を成してゆっくりとこちらへ向かって来るのがわかった。
やはり、バス7台分ともなると、その人数たるや圧巻である。ターミナルのコンコースは、瞬く間に青いTシャツの色1色で埋め尽くされた。
それはそうと、私はここで悠長にしている訳にもいかず、早速まずは韓国のA観光専務R氏・部長のS氏・ガイド代表のB女史と挨拶を交わし、名刺交換と相成る。(ちなみに、彼らはみな日本語が非常に達者である)
その他のガイトさんたちは、子供たちの点呼に余念がない様子だった。
いよいよこれから、彼らと共に壮大な旅がはじまるのである。私は、興奮を抑えずにはいられなかった。

ひととおりの雑務も終わり、いよいよ子供たちをバスへ案内する段となる。
私は駐車場への道すがらの途中に立ち、子供たちの誘導に努めた。何ぶんにも、彼らのほとんどは今初めて日本の地を踏んだことでもあろうし、何かと不安も大きかろう。私は、少しでもその緊張を和らげてあげようと、言葉は通じなくとも必死になっていた。
彼らがバスに乗り込むと、再び点呼がはじまる。実際に人数を確認するのは、A観光のガイドさんと、バスガイドさん(ちと紛らわしいが)であるが、7台が全て全員揃ったのを確認し、GOサインを出すのは我々の役目である。私は、端から端まで走り回り、7台全てがOKなのを確認すると、O主任にGOサインを出した。そして、いよいよ出発である。私は、指定された4号車へ足早に飛び乗った。
出発すると、早速A社ガイトのMさんから、「通訳するから、自己紹介して下さい」と頼まれたのだが、私はこの時に言いたいコトバを実は前々から決めていた。

「アンニョンハセヨ」(こんにちは)

私は、覚えたての朝鮮語でそう発声すると、子供たちは一瞬ギョッとした顔をしたものの、ほどなく歓声が上がった。
見事、私の作戦は成功したようであった。

こうして、彼らとの旅の火蓋は切って落とされた。しかし、まだまだ本題はこれからなのである。



▲博多−釜山を結ぶニューカメリア

 

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